アブルッツォ州のまち Le Province

テーラモ県

アトリの実力Atri

テーラモ県アトリは、
ペスカーラ県との境に位置する内陸の古代都市で、
起源は紀元前10-11世紀の鉄器時代まで遡ります。
 
町の名前はHatria(ギリシャ・ラテン語)、Hadria(イリュリア語)から派生し、
さらにアドリア海の名の由来※(※ヴェネト州アドリアと係争中)となったとも言われています。
ハドリアヌス帝の先祖、
アエリ家発祥の地として紀元前よりローマ人と同盟を結び独自の貨幣を持つ重要都市でした。
 

◆地下に見られる時代の変遷
紀元前290年には、侵攻してきたローマ人によってヘラクレスに捧げる神殿が建てられます。
この場所にはその後貯水槽が作られ、ローマ時代になるとカラカラ浴場と同じシステムを取り入れ改造されましたが、
西ローマ帝国衰退と共に荒らされ廃墟となってしまいました。
紀元1000年に近づきキリスト教が広がり、
礼拝堂が必要になった人々がこの瓦礫を使って建てたのが
Ecclesia di Sancta Maria De Hatria(現在のサンタ・マリア・アッスンタ聖堂)です。
水槽の遺跡は現在も聖堂の地下で見られます。
 
◆サンタ・マリア・アッスンタ聖堂
 
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©Maria Cristina Mancinelli
 
「聖母マリアの物語」をはじめ、カトリック教理を視覚化したような文化的華麗さを今に残し、
『アブルッツォのシスティーナ』とも評されるサンタ・マリア・アッスンタ聖堂。
歴史美術館さながらの優美な空間です。聖堂内部の豪華さから足元に視線を移すと、
ローマ時代前の精緻で貴重なモザイクアートが残ります。
 
◆ジュビレオ(聖年)の発祥はアブルッツォ?!
日本ではあまり知られていないGiubileo(聖年)は、
元々“25年に1度Porta Santa(聖なる扉)が開かれ罪を赦される”という宗教行事で
(現在ちょうどフランチェスコ教皇によって2015年11月より1年間特別聖年となっている)、
1300年、第193代ローマ教皇ボニファッチョ8世により始められました。
世界中のカトリック教徒にとって重大な儀式ですが、
アブルッツォでは第192代教皇チェレスティーノ5世の時代から
同様の行事があったことはあまり知られていません。
アブルッツォではペルドナンツァと呼ばれているこの儀式は、
ラクイラのSanta Maria di Collemaggio聖堂と
アトリのSanta Maria Assunta聖堂に聖なる扉が施され、行われていました。
 
◆カランキ
 
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©L’Oasi WWF Calanchi di Atri
 
WWF/OASIの保護区域に指定されている『カランキ』もアトリ名所のひとつです。
自然道を歩き6km周回するルートと、1km地点のサン・パオロ礼拝堂で折り返す散歩コースがあり、
粘土質土壌にはアルミニウム粒子が混ざっているので
月明かりに照らされ幻想的な光景を醸し出す夜の散歩もオススメ。
カランキの荒涼とした独特の光景は
ダンテの神曲『地獄篇』に登場する地獄の溝としても知られます。
『地獄篇』と言えば『地獄に落ちた教皇』として描かれているのが
ジュビレオの創始者ボニファッチョ8世です。
最近ではイタリア製西部劇(マカロニ・ウエスタン)のロケ地としてもよく使われていたそうです。