アブ日記 Diario

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2011年11月18日

貴重な体験(アブルッツォ3日目/2011.11.18)

年末年始、丸々お正月前後の1ヶ月更新を怠ってしまいました。
寒いしね~^^;

先週、Giannaさんの相方さんの同僚さん(イタリア人)が会議で来阪。
初日本ということもあり、着いた日の食事をご一緒にすることに。
(結局、他の日も食事や観光のお供をしましたが)

その同僚さんが日本に来られる前に、
私についてネットから得た情報がこれ→

2011年11月18日にItaliaNostraペスカーラ支部で
東日本大震災の経過や対応についてのレポートを行ったのですが、その時のお知らせです。

本人(私)の知らないところでポスターが作られ、
ネットで告知されていたのですが(おいおい)、
あろうことか”世界的に有名な都市計画家”と紹介されてます。。。

え??誰が??と、本人が一番驚きですが、
世界的に有名でもなければ、
他に言い換える言葉がないので都市計画家(urbanista)ですが、
実際やってることは”小さなまちの何でも屋”です。

そんな訳で、その同僚さんも私に会うまでは、
とんでもない有名人&偉い人に会うからとドキドキされていたそうです。
まあ会ったら、ご存知の方はご存知の私が登場した訳です。
あしからず。

前置き長すぎですが。
ここから本題。
自分は写真を撮れなかったので字だけです。

—————————————————————————

例によって、イタリア行きのチケットを取った時点で何人かの友人に、
「イタリア行きます、アブルッツォ帰ります。」宣言をしたところ、
ビーニ氏から、
“東日本大震災の経過や対応についてちょっと話をしてくれない?”
との依頼が。
原発事故についても併せて話して欲しいとこのこと。

“気の知れた友人同士の集まりだし、
気楽に話してくれてらいいから”
という言葉を真に受けて、
ラクイラの震災後の経過にも注目していましたし、
「少しでもアブルッツォと日本のために、私に出来ることがあるのなら」
と二つ返事で引き受けました。

その後、
前述の「講演会」とタイトルの付いたお知らせが出来、
ネットにまで掲載され、
「全然”気楽な集まりでのざっくばらんなお話会”ちゃうやん!」
と相当ビビリましたが、
こんなチャンスも無いと、覚悟を決めて出発までに準備を進めました。

講演は、とにかく正確で新しいデータを集め、
データから浮き彫りになる現状を報告しようと決めたのですが、
各省庁、都道府県、市町村、機関が公開している膨大且つ日々更新されるデータは
取捨選択するだけでもかなり大変でした。
それらをまずは日本語で資料に。

並行して原発推進・反対様々な立場の専門家が書いた本を何冊か読み、
原発についての理解を深める。

さらに並行して、自分が何者か知ってもらうために、
今の自分の仕事をまとめてイタリア語で資料作り。

ここまでで1ヶ月くらいがあっという間に過ぎ、
出発まで2週間足らず。
ここから更に「作った資料をイタリア語にする」という最大の難関へ。
初めてのレポート。
話し言葉もままならないのに、
専門用語満載のレポート。
イタリア人の友人に協力をお願いし、
2人で手探り状態でレポートをまとめていきました。

それでも時間は足らず、結局アブルッツォ入りしてから講演までの2日間は
アンナマリア宅に缶詰でみんなと何とか準備を終わらせました(つまり強制終了)。

講演はペスカーラの図書館の一室(図書館閉館後)。
テーマが震災だったこともあってか、
用意された席はいっぱいに・・・
数えてませんが40~50人位の方が集まってくれてたかな。

まずビーニ氏が、簡単に私の日本での仕事や、
私とアブルッツォのご縁について話してくれた後、
いよいよ私の報告。

幸い人前で話すことに殆ど緊張しない性分で、
簡単な自己紹介をした後は、
パワーポイントを使いながら、
とにかく書いてきたことをそのまま一生懸命読むという感じ^^;
しかも直前に出来上がった原稿なので、
特に専門用語や数字は参加者に読み方を助けてもらったりしながら、
なんとか1時間話し尽くしました。

その後は、ディスカッション。
個人的にはこういうディスカッションは結構好きで、
いいことも悪いこともどんな意見が聞けるのか興味津々。
長くなるのでここでは内容は省略しますが、
いろいろな質問が飛び出しエキサイティングな時間でした。
(知らない言葉も多く、手元の電子辞書で調べながら話すのは面白がられながら。)

とりあえず会としては無事終了。

が、
でもでもでも、、、
イタリア語もっともっと勉強しなあかんな~と痛感。
レポートにしてもディスカッションしても、
もっとちゃんと自分の言葉で伝えたい、
でも伝えられなかった不完全燃焼の気持ちがしばらく残り、
デビューとしてはほろ苦いものでした。

でも、こういう機会を作ってもらえたことは
間違いなく自分にとってはいい経験になったし、
次のステップにつながることもあるはず、、、?!

少なくとも、結構いろいろ調べて行っていたので、
講演以外の場でイタリアの友人たちと震災や原発について
じっくり話しができたのは、自分にとっては今までとは違ったよい経験でした。

(かなり)大変ではありましたが、
ビーニ氏ありがとう。

Steng bbone! もっと、イタリア アブルッツォ州