2011年4月8日
ビーニ氏と一日みっちりラクイラを回った後、
アンナマリアのブロードで体を温めたのも束の間、
ゆっくり休む間もなく、
ディナーに呼ばれていたのでアレッシアの家に向かいます。
お付き合い期間が長かったAlessiaとFabrizio。
結婚前から郊外にある親戚の土地を譲り受けて大きな家を建て、
手を加えながら暮らしています。
Fabrizioに車でピックアップしてもらうために
まずはバスでChietiに向かう。

途中、バスが急ブレーキを踏んだ拍子に、
Doriの鞄に入っていたペットボトルの水が破裂するハプニング!
おフィレンツェで買った鞄が~T_T
Veneziaの雨漏りといい、寝台水浸しといい、
どうもこの道中は水難の相が出ていた模様。なむ~。
気を取り直して、Fabrizioと合流。
車でFrancavillaの郊外にある彼らの邸宅へ向かいます。
家に着くとAlessiaが食事の仕上げにかかっていました。

ちなみにこの家には、
人間3人、猫10匹ほど、犬2匹が暮らしてます。
独身の頃から、捨て猫を見ると放っておけなかった彼女。
彼ら両方の親の家にも結構な猫がいます。
もはや、猫の名前を覚えるのは放棄しました。
キッチンに我々を残して、
Dori、お宅探検開始!

奥に見えるとびらが玄関扉。
機能的にはエントランスホールと呼べばよいのかな…。

玄関から入ってホールの左手。
応接室…というより応接ホール。
7~8年前、
建てたばかりの時はがら~んとしていたこのスペース、
4~5年前に壁で仕切って、
時間をかけながら家具や調度品を増やしてきました。
来るたびに物が増えてる。
そして、
応接ホールをさらに奥に進むと・・・

彼らがどうしても欲しかった、という
リアル暖炉登場!
アンナマリアの家もそうですが、
ガス代が結構高いので、
リアル暖炉はあまり珍しくありません。
でもこのしつらいは豪華やな~!
右手にはさらにオープンな書斎スペースがあります。
そして、

玄関ホールを反対から見たらこんな感じ。
さらに、右手の扉はバルコニーに繋がっています。

ランチの時は結構このバルコニーで食事をすることが多いです。
真夏でも涼しくて、景色も良くてかなり気持ちよい。
3年前のランチの様子はこちら→■

玄関ホールの奥には2階への階段。
奥の明るく電気が着いているところがキッチン。

キッチンの向かいにある仕切られたスペース。
ここはじゃあリビング??
食事のセットがされていました。
さ、食事の前に一旦小休止。
後編に続きます。
2011年4月6日
やはり、
この日のことも忘れずに伝えていきたいと思います。

※Il centroより
4月6日の震災が起きた午前3時32分に合わせて、
真っ暗な中、松明を掲げた2万人以上の市民がDuomo広場に集まり
309名の犠牲者を偲んだそうです。
(関連記事→■)
私が最後にラクイラに訪れたのが約半年前(もう半年か…!)→★
その時、「街に戻って住めるようになるまではまだ何年もかかるだろう。」
という話をしていました。
郊外の復興住宅はいくつか建設されたものの、
旧市街はようやく瓦礫が取り除かれ、
かろうじて二次的な倒壊は防げるという状態の中、
イタリア政府はすっかりラクイラは復興したとアピールしたがっています。
そんな中で、まちの人々が意気を高くもって、
いかに行政も巻き込みながら復興への駒を進めていけるか、
ここからが正念場です。
復興をアピールしたがる政府はといえば、
つい先日もお昼の人気番組で(私もよく観てたよ~>_<!)、
偽のラクイラ夫婦にラクイラはもう復興したかのような発言をさせて
問題になっていました。こちらから→★
どうして、こんなすぐばれそうなヤラセをするのか信じがたいですが
(一事が万事なんだろうな~という失望と共に)、
この件もネット上ではすぐに物議が醸されていましたが、
最も多い視聴者層はネットをあまり利用しない世代。
アブルッツォに知り合いもいない遠方の方などは、
テレビの情報を鵜呑みにしている人も少なくないでしょう。
今回の東日本の震災でも、
テレビとネット(SNSなども含む)の温度差や
情報の切り口などの違いを顕著に感じました。
(個人的には「自粛」の考え方が顕著な例)
どちらが正しい間違っているではなく、
これだけの情報を選べる世の中だからこそ、
溢れる情報を自分で咀嚼する力が求められているのだなと
つくづく感じます。
話それましたが。
ラクイラも、東北も、
またまちに灯りと笑顔が戻る日を信じて、
一歩ずつでも前進できるよう、
私は私なりにできることを探し続けたいと思います。
2011年3月24日
初めてCampoImperatoreを写真で見たのは、
かれこれ7~8年前(アブルッツォとも長い付き合いになってきました)。
雑誌で見たそれに
「アブルッツォにはなんて美しいところがあるのだろう…!」
と感動したのを覚えています。
行きたい行きたいと思いつつ、
かなり標高の高いところまで行く必要があり、
なかなか実現せずにいました。
今回、アブルッツォ初のみどりんも一緒ということもあったからか、
「よし、行こう」と決心してくれたビーニ氏、ありがとう!
さて、
ラクイラを出てCampo Imperatoreへ向かう途中、
地震で崩れた塔の再建が気になっていたので、
「Sant Stefanoにもちょっと寄りたいな…」と我がままにもお願いをしてみる。
さすがに立ち寄るには時間がありませんでしたが、
アブルッツォを知り尽くす男は、
「いいこと思いついた」と言って車を走らせてくれました。

そう、
少し険しい道らしいのですが、
道を選べばSant Stefanoを望めるスポットがあったのでした。
確かに、再建が始まっている塔が見えます!
(写真右にある集落がSant Stefano)

お天気がすぐに変わる山道を進んで、

さらに別の角度からもSant Stefanoの街並みが見えました。
(写真中央やや左に見える集落がそれ)
ありがとうビーニさん…!T_T
満足満足^_^
さあ、天気が悪くならないうちに急いでCampo Imperatoreへ向かいましょう。

どれくらい車を走らせたでしょうか。
遂に…!コルノグランデを視界に捉えました!!

美しさに興奮して思わず車を止めてもらう。
標高がかなり高くなっているので結構温度が下がっていましたが、
ちょうどお天気も良くなってきて気持ちいい。

興奮してはしゃいでるそばに、
なんと草を食べにきた馬の群れ登場!!!

できすぎの演出に感激。
Viva Abruzzooooooo!!
ここでもかなり大満足でしたが、
「せっかくだから、もう少しこの先を行けば面白いホテルがあるから」
とビーニ氏に言われて更に道を進みます。

岩肌の陰影が美しいコルノグランデ。
憧れ続けていた風景を目の前にして興奮冷めやらず。

可能な限りコルノグランデに近づいていきます。

雲が流れるスピードが速くなっているので、
またすぐに天気が変わってしまうかも…!
(Dori、美しい写真ありがとう!)

頂上に着く頃には・・・

コルノグランデの頂上がみるみるうちに
雲に覆われて姿を隠されてしまいました。

そしてこれが目的の「Hotel Campo Imperatore」。
標高2126mに位置するこのホテルは、
1934年ファシズム時代に建てられ、
1943年ムッソリーニが約2週間幽閉されていたことがあります。

ムッソリーニが幽閉されていたことが記されています。
(幽閉後ドイツ軍による救出作戦はグランサッソ襲撃と呼ばれています→■)

今もスキーや登山、ツーリング客が利用するホテル。
さすがに標高2000mを超える山は気温がぐんとさがってとても寒く、
ホテルの温かさがありがたい。
バールで温かい紅茶を頼んで体を温めていると・・・

バーリから来たというツーリングおじ様軍団に囲まれてしまいました。
「君、アクセントがプーリャの訛りだな、バーリか、バーリから来たんか?!」
「いや、どちらかと言えばアブルッツォ訛りだと思います。
でも、プーリャめちゃ好き!!」
てなことをちょっと喋ってました。
体もちょっと温まったし、
また長い道のりを帰らなければとホテルを後に。

さっきまでの青空が嘘みたいにすっかり一面雲に覆われています。
青空の時に来れて本当に良かった!!
濃~い霧に視界を遮られ数m先しか見えなくなった中を
ゆっくりゆっくり下山していきます。
何も見えないって孤独で怖い…
いきなり車が出てこないか運転にも緊張が走ります…
ビーニさんお疲れ様。

ようやく雲も切れて、
やさしく空を照らす太陽の光に一同ホッと一息。

とは言え、ここはまだラクイラの山の中。
家まではまだあとひと踏ん張りが必要です。
盛りだくさんで予定よりかなり遅く帰ってくると、

アンナマリアが大好きなブロードを用意して待ってくれていました。

チーズをかけていただきます。
寒さと疲れで硬くなったからだを、
温かいスープがゆっくりと解きほぐしてくれます。
幸せ・・・・
っと、幸せに浸っている暇もなく、
一休みしたらアレッシアの家のディナーに出発です。
ひえ~
ビーニさん、改めてお疲れ様でしたありがとう!!!!
