2011年3月5日
ついに文明の利器スカイプを駆使(苦使?!)して、
スイスと大阪を結んでのアブ会が実現!
Giannaさんがスイスから送って下さったパネットーネに、
羊串(があった)焼きも登場で今回も大いに盛り上がりを見せました。
様子はすぐにGiannaさんとジョバさんがブログにアップしてくれたので、
しっかり余韻を楽しませてもらいながら、
やっとパソコンに向かう今日この頃…
NZでの震災では多くの日本人も犠牲となっており、
未だ身元が分からない状態ですね。
ニュースを見ていると自分と同年代の女性も多く、
夢と希望を持って海外に飛び立った彼女たちのことを想うと、
無念で胸が痛みます…。
さて、我々のラクイラ旅もラクイラ郊外からいよいよ市街地へ。
(2010年10月9日現在)

まちの中心に入るために車を降りると、
広場に小さな仮設店舗が出来ていました。

前の年(一昨年)も見て印象に残っていた映画館の上映告知。
よく見ると、去年のイタリア映画祭で日本に来ていた映画。
時間の経過を感じます。

瓦礫などはかなり撤去されていますが、

まだまだまちの殆どが立ち入り禁止区域です。

Duomo広場にあるSuffragio教会、
中に入れる様になっていたので見学してみることに。

紹介遅れましたがラクイラで私たちを待っていてくれたのは、
ビーニ氏の友人、ラクイラ生まれラクイラ育ちのロベルタ(後ろ姿)と愛犬ジギー。


※写真は引き続きdoriさんです。
綺麗な写真ありがとう☆


震災までは毎日のように賑やかな市が出ていたDuomo広場では
チョコレートのイベントをしてました。

震災から約1年後にようやく通れるようになったVittorioEmanuele通り。
これで南側のフェデリコ2世通りとDuomo広場を中心にした
南北に走るメイン通りが結ばれました。

広場付近のフェンスには立ち入り禁止ゾーンの建物の写真や、
店舗の移転先のお知らせに加え、
愛する街への想いや
遅れる復旧を抗議するメッセージなどが貼られています。

倒壊した建物のものでしょうか、
使うことの出来なくなった鍵。

308名の犠牲者を慰霊する308本のリボン。

わずかですが場所を変えて再開したお店も出てきていました。

通れるようになったとはいえ、まだまだこんな感じ。
本当に通れるだけです。

復旧というよりはまだまだこれ以上の倒壊を防ぐための処置という印象。
中世から長い時間をかけて広がってきた街だけに、
建て方や構造も違うだろうし、外見以上に躯体に問題があったりと、
木造建築に比べ気の遠くなるような復旧行程が想像されます。

VittorioEmanuele通りの始点AlpiniL’Aquila広場。
以前はペスカーラからバスに乗るとここで降りていたので
私にとってはここからが街の始まりと感じる場所。

広場の東側にはアブルッツォ国立博物館となっているカステッロがあります。

リードをはずしてもらって走り回るジギー。


16世紀に建てられたこのカステッロも大きな被害を受け、
博物館は現在休館中です。

お城から大通りの裏側の住宅街へ。
立ち入りできない建物も多くひっそりしています。

ラクイラの中でも大きな教会のひとつS.Bernardino聖堂。
その修復中のクーポラが見えます。

S.Bernardinoのファサード。
ラクイラに来る度訪れていた教会も今は入ることができません。

聖堂の前は急斜面の階段が続く珍しい光景。
ラクイラを囲む山並みが美しい。
お天気も良くなってきました。
ラクイラは他のborgoと同様に山の中にできた街で起伏が多く、
街の高いところを歩いていると建物の背後に
山の稜線と空が視界に飛び込んできて独特の風景をつくります。
本当に変化に富んで美しい街。

S.Bernardinoからメイン通りに続く道。
このあたりも以前はたくさんのお店が並んでいました。

再びDuomo広場に戻ってくると、
チョコレートイベントにさっきよりも人が集まっていました。

大きなチョコレートの塊に集まる人々。
ビーニ氏は「復興アピールのパフォーマンスだ」と言っていましたが、
こういうイベントがあることで、
愛着のあるまちに人々が訪れるきっかけができて、
一瞬でもそこに笑顔が戻るなら
それはそれでいいんじゃないかと思うのでした。
街を案内してくれたロベルタとはここでお別れ。
我々も次なる目的地に向けてラクイラを後にします。

街を去る前に大好きな教会Collemaggioの前を通ってもらう。
ファサードの美しさと存在感にため息が出ます。
好きだな~
以前は芝生だった前面の広場は
避難所として8ヶ月間程テントが建っていました。
この教会も見学は可能になったようですが、
この日は中には入らず。
次に目指すのは初!CampoImperatore!!
2011年2月18日

Caepstranoを後にして我々が向かったのは、
Prata d’Ansidonia。
昨年に引き続き、
皆様にご協力頂いた震災支援金を送金した村です。
うまく市長(村長?!)とお会いできたらいいなと思っていましたが、
あいにく仕事でローマにおられたので電話でだけご挨拶。
それでも、「comune(役所)に職員が出勤しているから」
ということでComuneを訪問することに。

震災前までcomuneがあったところを訪ねてみましたが、
人の気配がなくどうやら移設している様子。

ビーニ氏も震災後は避難所しか訪れていなかったらしく、
事情が分からず、町の人に聞いてみようと試みるも、
すれ違う人もおらず…
結局役所の職員さんと連絡を取りあって、無事到着。

町のはずれにポツンと建っていた建物。
コーヒーメーカーの看板が残っているということは
元々は飲食店だったのでしょうか。

がらんとしたところに、
とりあえず必要なものを持ってきたという感じでした。

市長さんからの電話を受けて、
私たちを待っていって下さった職員の方々と
報告を兼ねて少しお話。
去年送金したことも覚えてくださっていました。
次の約束もあったので、
記念撮影をしてComuneを後に。
私たちの支援金が少しでもお役に立てますように…
皆さん、本当にどうもありがとうございました。

Prata D’Ansidoniaもサフランの生産地。
オレンジのネットで囲まれているのがサフラン畑。
畑を荒らす野生動物対策として、
ネットを電流が流れているそうです。
ラクイラに向かう途中PrataD’Ansidoniaにある
古代都市遺跡Pletuinumにちょっと立ち寄る。

ローマなどに行くと古代遺跡と「共存」しているという感覚に
慣れてしまい時間の距離感が麻痺してくるのですが、

ここのように打ち捨てられたままの街の姿は、
逆に諸行無常、盛者必衰を感じ、
昔のまちの姿に思いを馳せてしまいます、

doriさん、初アブルッツォで
体感する間もないくらい写真任せきりにしてごめんね、ありがとう。

貝殻発見!
昔は海だったのか?それとも当時の住民たちが貝を食べていたのかな…?
しばらくタイムスリップして、
いよいよラクイラへ。
1時間くらい前からどんどんずれ込む待ち合わせ時間の調整で、
ビーニ氏の携帯鳴りぱなしです。
ラクイラが近づいてくると、
車窓から震災後に建てられた住宅が
現れ始めました。

意見は分かれるところでしょうが、
アブルッツォの風景としての美しさを
かけがえのない州の資産だと考えているビーニ氏にとっては、
無秩序で無機質な復興住宅は、
「何もここに建てなくても…」「この色にしなくても…」
と感じることが多い様です。
そんな話をしながら、ラクイラに急ぐ我々。
待たせている人がいるはずなのに、
「ここのパンが美味しいらしいから奥さんに買って帰る。」
とひとつの店の駐車場に車を停めるビーニ氏。

確かにさっきまで殆どすれ違う車もなかったのに、
ここだけ車が頻繁に出入りしています。

「dolceも美味しいよ」と進められ、
せっかくなので、
私たちもアンナマリアとアレッシアにお土産として購入。
量り売りでしたが驚く程安かったです。
さて、気を取り直してラクイラへ向けて出発。

1年半たっても残る瓦礫の山が随所に。

震災復興アピールのシンボル的な存在となった復興住宅、
去年は工事中だったところを写真に収めていました。
↓去年の写真

ただ、不便な立地のため、思ったほど入居希望者が集まらなかったという話も。
実際の入居状況はどうなんでしょうか。
もうすぐラクイラです。
2011年2月17日
山の中で息を潜めるようにして建つ
Chiesa di San Pietro Oratriumを後にして、
我々が向かったのはCapestranoの中心市街。
(この教会もCapestrano市に属します)

なだらかな丘陵の地形に沿って広がる街並みに、
教会の鐘楼とお城の塔が絶妙なアクセントとなって聳え、
いつも見とれてしまう美しいBorgo、Capestrano。
隣接するNavelliと同様にサフランの生産地でもあります。
実はいつも下から眺めるばかりで、
町の中には入ったことがなかったので、
今回はDoriも一緒だし、
と町を見学してみることに。

まずは、
15世紀トスカーナ出身で、
アマルフィの最初の公爵(Duke)となった、
Antonio PiccolominiによるPiccolomini城。

特に入場料とかを取られることもなく入れました。

城内で我々を出迎えてくれたのは、
この町の有名人、
このブログではすっかりお馴染み(?!)Guerriero di Capestrano。

先客にゃんこのガイド付き。


中は人気もなくがらんとしており、
逆に時代から取り残された城の雰囲気を醸します。

さっき下から見上げていた塔が間近に。

町一番の高台から
私たちが通ってきた道を見下ろします。

反対側はCapestranoの町が広がります。

太陽カモ~ン!!
お城を後にして、

広場から見える教会を横目に車に乗り込み

中心地から少し離れたところにある
15世紀に建てられた修道院、
Convento di S.Giovanni da Capestranoへ。


町の守護聖人でもあるS.Giovanniは、
オスマントルコのヨーロッパ侵攻が、
ベオグラードで阻止された際に、
ハンガリー軍として兵を集めて戦ったとされています。
そのためCapestranoは人口1000人足らずの小さな町ですが、
ハンガリーの首都ブタペストと姉妹都市提携をしています。

修道院から眺めるCapestrano。
少し歴史の勉強もして町を後にします。
次なる目的地Prata d’Ansidoniaに向かう道中、
羊の大群に思わず車を止めて見ていると、
その名も「アブルッツォの羊飼い(pestore abruzzese)」という
牧羊犬たちがすぐに我々を見つけて、
「不審者発見!」
とばかりに向かってきました。

さっさと車にもどりましたが、
その貫禄とプロな仕事振りに逆に感心。
さて、羊もいっぱい見られて
ますますAbruzzoを実感というところで、
Prata d’Ansidoniaへ行きましょう。
